明治維新胎動の地、萩。 松陰神社を訪れて志士たちの「志」にふれてみませんか。

萩市は山口県の北部に位置する日本海に面した市で、維新の先覚者である吉田松陰をはじめ、数々の志士を生み出した維新胎動の地として多くの方に知られています。
このような時代背景からも萩市には歴史的価値の高い史跡が数多く存在しています。
今回はその中でも特に人気の観光スポットでもある松陰神社をご紹介します。
来年(2018年)は明治維新から数えて150年という記念すべき年。
萩に訪れることで維新志士の想いを感じてみませんか。
この記事の目次
吉田松陰(よしだしょういん)とは
2015年、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」で改めて脚光を浴びた吉田松陰。
その吉田松陰ゆかりの地が松陰神社になります。
吉田松陰は萩藩士、杉百合之助の次男として生まれ、5歳で山鹿流兵学の師範であった吉田大助(父の弟)の仮養子となります。
6歳で吉田家を継ぐと早くも才能が認められ、わずか9歳で藩校明倫館の兵学師範(先生)に就任。
13歳の時に、叔父の玉木文之進が、自宅で松下村塾を開くとさらに勉学に励み、19歳で藩校明倫館の兵学師範として独立します。
以後、西洋の情報を得るための九州遊学を経てた後、関東・東北・関西へと全国を遊歴し、勉強を重ねます。
25歳の時、国法を犯し、伊豆下田で米国への密航を図るも失敗。
萩の野山獄に投じられます。
その後、実家杉家で幽囚の身となるものの、部屋で「孟子」の講義を行うと、やがてそれが評判となり、松下村塾を事実上主宰。
個人の長所を見抜き、それを伸ばすといった教育姿勢とともに、自由闊達な議論と討論を積極的に行うことで、後に幕末や明治において大きな活躍を果たす多くの人材を育てました。
井伊直弼による安政の大獄で、わずか30歳の若さで処刑。
享年30歳。(満29歳没)
生年:文政13年(1830年)8月4日
没年:安政6年(1859年)10月27日
吉田松蔭は次世代の人たちに向けて、こんな言葉を残しています。
「諸君、狂いたまえ」
常識にとらわれることなく、狂ったように己の信じる道を往く。
持て余すほどの情熱で、常に常識をブレイクスルーし続けた、吉田松陰らしい言葉ですよね。
ちなみに、萩市では吉田松陰を尊敬だけではなく、親しみを込めて「松陰先生」と呼ぶ方が多くいらっしゃいます。
萩で吉田松陰のことを聞く機会があれば、ぜひ松陰先生と呼んで話しかけてみてくださいね。
松陰神社(しょういんじんじゃ)とは
吉田松陰を祭神とする神社。
萩市で学問の神として崇敬を受ける神社であり、正月には多くの初詣客が訪れます。
境内には、松下村塾と隣接して、吉田松陰幽囚ノ旧宅などがあります。
吉田松陰が殉節してから31年後の明治23年(1890年)、松陰の実家である杉家の邸内に、実兄杉民治が土蔵造りの小祠を建て、松陰の愛用していた、赤間硯と書簡(父兄宛に書いた文書)を御神体として祀ったのが松陰神社のはじまり。
その後明治40年(1907年)、松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって、神社を公のもとして創建しようという運動が起こり、県社の社格をもって創建が許可されました。
現在の社殿は昭和30年(1955年)に新しく建てられたものです。
ここのおみくじは「松陰先生教訓入り」です。
ぜひ、引いてみてくださいね。
創建当時の土蔵造りの旧社殿は現在、高杉晋作や久坂玄瑞など松下村塾の塾生、門下生たちを祀る末社、松門神社となっています。
昭和31年(1956年)に創建。
実は松陰神社、萩以外にもあることをご存知ですか。
吉田松陰の生誕の地である萩とは別に、墓所のある東京都世田谷区のそれぞれに神社が建立されています。
東京に行く機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてください。
松陰神社内には松陰ゆかりの史跡や記念館などがあります。
次はこれらを簡単にご紹介します。
松下村塾(しょうかそんじゅく)とは
幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。
松陰の叔父である玉木文之進が、自宅で私塾を開いたのが始まりで、安政4年(1857年)、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになりました。
身分や階級にとらわれず塾生を受け入れ、儒学・兵学・史学などをはじめ広範な学問を教授しました。
松陰が松下村塾で、塾生たちの指導に当たった期間は、わずか1年余りだったと言われています。
その短い期間に松陰は、一方的に師匠が弟子に教えるという教育ではなく、互いに意見を交わす討論を積極的に行った他、登山や水泳、農作業なども取り入れ、心身両面の鍛錬に重点を置いた「生きた学問」を行い、後に幕末や明治時代に活躍することになる、
久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文など多くの人材を育てました。
このように短期間で、優秀な人材を育てた吉田松陰は「人を育てる天才」と言われ、その教えや教育方針などは現在、様々なプログラムとなって、多くの会社の社内研修などに取り入れられています。
そんな吉田松陰ですが、実は育てることができなかった人物が3人ほどいたそうで、その3人には共通して、ある「心」が無かったそうです。
それは「感動する心」。
人を育てる天才の吉田松陰であっても、受け止める側に感動する心がないと人を成長させることはできない。
わたし自身、感動する心を大切にしようと改めて思いました。
最後に「僕」と「君」。
日常でよく使われる言葉ですが、これを最初に使ったのが吉田松陰と言われています。
「お互いが対等であり同志であること」を意味していたそうで、こういったところからも吉田松陰の人柄がうかがえますよね。
吉田松陰幽囚(ゆうしゅう)ノ旧宅とは
吉田松陰の生家。
安政元年(1854)、伊豆下田で密航に失敗して江戸伝馬町の牢に捕らわれた後、萩の野山獄に送られた吉田松陰。
翌年に釈放されましたが、父杉百合之助預かりとなり、実家である杉家の一室で謹慎生活を送りながら、読書と著述に専念しました。
松陰は家族からの薦めもあり、幽囚室で孟子などを若者たちに講じ、それがやがて松下村塾での門徒たちへの教育へと発展していくことになります。
※幽囚:捕らわれて、閉じ込められること。
吉田松陰歴史館
短くも激しい吉田松陰の生涯を、20の場面ごとに等身大のろう人形で再現・解説をしています。
音声ガイド付き。
開館時間:9:00〜17:00
料金:大人・大学生500円・高中学生250円・小学生100円
休館日:無休
石碑:明治維新胎動之地
歴史館の前には「明治維新胎動之地」と大書された石碑があります。
昭和43年(1968年)に明治維新100年を記念して建立されたもので、揮毫は山口県出身の故佐藤栄作首相。
松陰神社宝物殿 至誠館
平成21年(2009年)に吉田松陰没後150年を記念して開館されました。
現存する吉田松陰直筆の留魂録を公開する他、遺品類や書状など多数展示。
企画展なども開催されています。
※留魂録:吉田松陰が死刑の直前に塾生たちに宛てた書。
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:無休
花月楼

昭和34年(1959年)、7代藩主毛利重就の別邸茶室を移築したもの。
この他、食事をするところもあります。
《松陰食堂》

営業時間:10:00〜17:00
定休日:無休
まとめ
いかがでしたでしょうか。
幕末好きにはたまらない、萩の松陰神社。
その名の通り、吉田松陰ゆかりの地として、その激動の生涯を垣間見ることができます。
また、2015年7月に松下村塾と吉田松陰幽囚ノ旧宅が「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されました。
吉田松陰の教えが、後世まで引き継がれて、日本の産業革命に大きく寄与したことがうかがえますね。
明治維新150年を来年に迎える今だからこそ、松陰神社を訪れて、吉田松陰はじめ、多くの維新志士たちの熱い志にふれてみませんか。
・名称:松陰神社
・住所:萩市椿東1537番地
・アクセス:車:萩小郡道路絵堂から車で約30分
・アクセス:電車:JR山陰本線東萩駅から徒歩で約10分
・営業時間:境内見学自由
・定休日:無休
・電話番号:0838-22-4643(松陰神社社務所)
・料金:500円(至誠館の大人1人の入館料)
・所要時間:60分〜90分
・オススメの時期:通年
・公式サイトURL:http://shoin-jinja.jp/