「角島ジェラートPOPORO」秋枝夫妻からうかがったジェラートにかける想い

当編集部が「角島ジェラートPOPORO(ポポロ)」さんを知ったのは、来店されたお客さまが掲載したSNSでの投稿を見たのがきっかけです。
このお店、ぜひ取材したい!
なぜか、そんな感情が沸いたことを覚えています。
今思えば、SNSなどの投稿を見ていた私は、すでに秋枝夫妻の想いに触れていたんだと思います。
この記事の目次
宮城県で生まれた「ジェラートSHOP ポポロ」
宮城県出身の秋枝代表が、ジェラートを作り始めたのが18年前のこと。
お父様が創業したジェラート屋「ジェラートSHOP ポポロ」の手伝いをしたことがきっかけ。
当初は簡単な手伝いだけのつもりが、いつの間にか、厨房でジェラート製造をさせられていたのだそうです。
そこから十数年。
ジェラート製造をずっと続けていたある日。
突如起こった「東日本大震災」
すぐそば松島湾があり、海の近くで営まれていた「ジェラートSHOP ポポロ」。
震災時、店舗は機材の被害はあったものの、津波による建物への被害は奇跡的に免れたそうです。
すぐ近くでは、流された家や船が突っ込んだ家などもあったにも関わらず。
海の近くだったため、絶対に津波が来ると思ったご夫妻は、スタッフの方達と一緒に、高台のホテルへ避難。
避難したホテルではライフラインが止まっていたため、ラジオを情報源にしていたそうです。
そこで流れてきたラジオから聞こえてくる情報
「津波が10~20m」
「遺体が海岸に100~200人」
そんなわけないじゃん!
なに言ってるんだろ?
映画じゃあるまいし。
おかしなことを言っている。
当時はまったく信じることができなかったそうです。
ホテルでは、二晩お世話になったそうですが、寒くて一緒に避難したスタッフたちと背中をくっつけて寝ていたそうです。
本震後も余震がずっと続き、常に揺れているような状態。
そのような状態の中で、すぐに営業を再開するのはかなり迷ったそうです。
「私たちにできるのはジェラート作りしかない」
でも・・・。
ジェラートって非日常的なもの。
こんなときに販売を再開してもいいのだろうか。
悩んでいたときに言われた、お客さまの言葉
「再開できるところから再開していかないと復興はないよ」
そして、当時25歳の息子さんからも。
「こんなときだからこそ食べたくなるんじゃないの?」
「まず店あけてみなよ」
「利益というものを上げなければ理解してもらえるんじゃない?」
営業再開に背中を押してくれたそうです。
「利益は募金します」
そう店内に掲げ、営業を再開。
ジェラートの機材は震災の影響で壊れていた為、ソフトクリームを販売開始。
その1か月後のゴールデンウイーク前にはジェラートも再開。
そんな中決まった立ち退き
震災後、復興のため、津波の影響を奇跡的に受けなかったお店の立ち退きの話が本格的になってくると同時に、お父様が倒れてしまいご病気に。
秋枝代表はジェラート製造しかしてこなかったため、運営が困難だと考え、ご主人に仕事をやめてもらい、お店を手伝ってもらうことに。
その後、立ち退きが正式に決まり、宮城県内で再開する場所を探したそうですが、中々いい場所が見つからない。
そしてお父様が他界されます。
たくさん悩んだそうですが、ご主人のご両親も高齢ということもあり、ご主人の実家がある、山口県下関市に移住しお店を再開することを決心。
ジェラートにかける想い
「結局続けたかったんですよ」
と、奥様。
「震災があったじゃないですか。その時に自分たちよりもひどく被災された方たちが来てくれて、『頑張ってね!頑張ろうね!』と励ましてくれて、いい仕事なんだなと、お客さまに逆に教えてもらった感じなんですよ」
震災の傷跡が大きく残る中、来店されるお客さまが、ジェラートを食べて笑顔に。
「あいててよかったぁ」
とか
復興支援ボランティアの方がジェラートを食べて
「あーホッとするね!」
そういう声をたくさん頂いたそうです。
この非日常のジェラートにこんなパワーがあるんだ!
ジェラートは人を笑顔にできるんだ!
あらためて実感したそうです。
「結局ジェラートしかなかったんですよ」
笑顔で奥様はふたたびそうおっしゃいました。
想いは山口県に
立ち退きでお店をやめなければならないとなったとき、奥様は思われたそうです。
「人々を笑顔にするジェラートを作り続けたい」と。
そして、2018年5月25日。
みたび営業が再開されました。
宮城県から山口県へ拠点を移して。
「角島ジェラートPOPORO」として。
店内には、ご夫妻自慢の「人々を笑顔にするジェラート」が待っています。
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